冷蔵庫の奥にある原材料の束を見て、「これ、いつ入荷したものだろう」と首をかしげた経験はないでしょうか。
食品を扱う現場では、賞味期限の管理ひとつが利益にも信用にも直結します。それなのに、管理の実態を詳しく聞いてみると、紙の台帳やExcelに頼っている企業がまだまだ多いのが現実です。
数字が語る「見えていないコスト」
農林水産省と環境省の推計によれば、令和5年度の日本の食品ロス量は約464万トンにのぼります(1)。このうち事業系は約231万トンで、製造・卸・小売・外食のサプライチェーン全体にわたって発生しています。数字だけを見ると遠い話のように感じるかもしれませんが、これを自社の倉庫に置き換えてみてください。廃棄される食品には、原材料費だけでなく、加工にかけた人件費、光熱費、そして廃棄そのものにかかる処理費用が含まれています。つまり、ロスが出るたびに「二重のコスト」が発生しているわけです。
食品業界には「3分の1ルール」と呼ばれる商習慣があります。製造日から賞味期限までの期間を3等分し、最初の3分の1以内に小売店へ納品しなければならないという暗黙のルールです。この慣習が、まだ食べられる商品の返品や廃棄を生む一因になっています。期限の見える化ができていなければ、どのロットを先に出荷すべきかの判断すら後手に回ります。
トレーサビリティは「義務」から「武器」へ
食品トレーサビリティとは、原材料の入荷から製造、出荷までの記録を追跡できるようにする仕組みです。農林水産省は食品事業者に対してトレーサビリティの取組を推進していますが、同省の調査では、とくに中小零細企業での実施率が低い状況が続いています(2)。理由として多く挙がるのは、「記録の整理・保存に手間がかかる」「取組の必要性や具体的な方法がわからない」といった声です。
ただ、視点を変えると、トレーサビリティは単なる規制対応ではなく、経営の可視化そのものでもあります。どの原材料がいつ入荷し、どの製品に使われ、どこへ出荷されたか ー この一連の情報がリアルタイムで見えていれば、万が一の事故対応だけでなく、日常のロット管理や先入れ先出しの精度も格段に上がります。記録をつける手間が経営判断の材料に変わる瞬間です。
デジタル化の壁は「技術」ではなく「最初の一歩」
農林水産省の調査によれば、食品産業におけるIoTやデジタル技術の活用率は、売上10億円未満の企業では21.7%にとどまっています(3)。大手企業との差は歴然ですが、その原因は技術の難しさというよりも、「何から始めればいいかわからない」という入口の問題であることが多いようです。
現場で実際に起きていることを整理してみると、課題の構造はそれほど複雑ではありません。紙やExcelでの管理は、記録の抜け漏れや転記ミスが避けられず、担当者が変わると引き継ぎが途切れます。賞味期限の近い在庫を見落として廃棄が増え、取引先からの問い合わせに即答できない。こうした「小さな非効率」の積み重ねが、年間を通じて見ると無視できないコストになっています。
クラウド型の管理システムを導入した食品企業の事例では、入荷時にバーコードやQRコードで情報を取り込み、賞味期限や入荷日を自動で記録する仕組みに切り替えたことで、棚卸作業の時間が半減し、期限切れ廃棄も大幅に減ったという報告があります。大がかりな設備投資ではなく、日々の記録のやり方を変えるだけで成果が出るという点は、中小企業にとって重要な示唆です。
「見える化」の先にある経営判断
賞味期限や在庫の情報がリアルタイムで見えるようになると、変わるのは現場のオペレーションだけではありません。どの商品がどれくらいのペースで出ているのか、どの原材料の回転が遅いのか ー そうしたデータが蓄積されることで、仕入れの判断や生産計画の精度が上がります。
食品ロスの削減は、環境への配慮として語られることが多いテーマです。しかし、現場から見れば、それはそのまま利益率の改善を意味します。廃棄を減らすことは、売上を伸ばすのと同じだけの効果を持つ場合があります。
自社の倉庫にある在庫の賞味期限が、今この瞬間、誰にでも正確にわかる状態になっているかどうか。
その問いに即答できるかどうかが、次の一手を考える出発点になるのではないでしょうか。
参考・出典
(1)環境省「我が国の食品ロスの発生量の推計値(令和5年度)の公表について」 https://www.env.go.jp/press/press_00002.html
(2)農林水産省「トレーサビリティ関係」 https://www.maff.go.jp/j/syouan/seisaku/trace/index.html
(3)農林水産省「農林水産業・食関連産業のデジタルトランスフォーメーション」 https://www.maff.go.jp/j/kanbo/dx/