「店舗ごとに在庫数が違う」 ー その状態を、あとどれくらい続けられますか?
閉店後、本部のパソコンでECサイトの在庫数と実店舗の棚卸し数を突き合わせる。数字が合わない。どこかで売れたはずの商品が、別の店舗ではまだ在庫ありとして表示されている。翌朝には「在庫ありと書いてあったのに届かない」というクレームのメールが届く ー 多店舗展開やEC販売を手がける小売業の現場では、こうした光景が珍しくありません。
在庫が「見えない」ことの本当のコスト
経済産業省と農林水産省が2025年5月に公表した「省力化投資促進プラン ー 小売業 ー」によれば、卸売・小売業はおよそ1,045万人が支える労働集約的な産業であり、労働生産性は他業種と比較して低い水準にあります(1)。中小企業に限ると約52.7万社が存在し、そのうち小規模企業が42.7万社を占めています。つまり、小売業の大多数は限られた人員で日々の店舗運営を回しているということです。
この人員の制約が、在庫管理の精度に直結します。実店舗が2店舗、3店舗と増え、さらにECモールへの出店が加わると、商品の入出庫情報を追いかける経路は一気に複雑になります。店舗ごとにPOSレジのデータがあり、ECモールごとに受注管理画面があり、仕入先への発注はまた別のシステムで行っている。こうした情報の分断は、過剰在庫と欠品という正反対の問題を同時に引き起こします。売れ筋商品が片方の店舗で欠品しているのに、もう片方の倉庫には余っている。その事実に気づくのが翌週の棚卸し後では、機会損失はすでに発生した後です。
「段階2」から「段階3」への壁
中小企業庁が公表した2025年版中小企業白書では、中小企業のデジタル化の取組段階を4段階に分類しています。段階1は紙や口頭中心、段階2はメールや会計ソフトなど基本的なデジタルツールの利用、段階3は業務効率化やデータ分析への活用、段階4はビジネスモデル変革です(2)。
注目すべきは、段階2と段階3の間で回答割合の差が大きい取組項目として「顧客データの一元管理」と「営業活動や受発注管理のオンライン化」が挙げられている点です(2)。言い換えれば、メールや会計ソフトの導入だけでは業務効率化には至らず、情報を一つの場所に集約し、それを判断材料として使える状態にすることがDXの実質的な分岐点になっているということです。
小売業に当てはめれば、店舗別・チャネル別に散らばった在庫データ、顧客データ、売上データを一元的に管理できるかどうかが、この壁を越える鍵になります。
省力化の波は「レジの向こう側」にも届いている
前述の省力化投資促進プランでは、小売業の業務プロセスを「発注・仕入」「品出し」「店舗運営・管理」「接客・決済」「配送」の5つに分類し、それぞれの省力化余地を整理しています(1)。セルフレジや清掃ロボットといった店頭の省力化に目が行きがちですが、プランが指摘する省力化余地が「大」とされている領域は「発注・仕入」と「接客・決済」です。
発注・仕入の領域では、データ様式が取引先ごとに異なること、需要予測にノウハウが必要なこと、システム設定が複雑であることが課題として挙げられています(1)。これらは、個別のツール導入だけでは解消しにくい構造的な問題です。受発注データ、在庫データ、販売データが一つの基盤の上でつながって初めて、需要予測の精度が上がり、発注業務の自動化や省力化が現実味を帯びてきます。
同プランでは、2029年度の名目労働生産性を2024年度比で28%増とする目標が掲げられています(1)。この数字は、現場のオペレーション改善だけでは到達が難しい水準です。バックオフィスを含めた業務全体のデジタル化、とりわけ情報の一元管理による判断スピードの向上が前提になっていると読み取れます。
「合わない在庫」の先にあるもの
在庫数の不一致は、それ自体が経営課題であると同時に、もっと大きな問題の症状でもあります。店舗別の売上構成が見えない、チャネルごとの利益率が分からない、仕入れの最適なタイミングが読めない ー これらはすべて、情報が分散していることから生まれる経営判断の遅れです。
中小企業白書のデータが示すように、デジタル化の取組段階が進んだ企業ほど、売上面・コスト面・人材面のいずれにおいても効果を実感しています(2)。逆に言えば、段階2にとどまったままでは、ツールの導入コストだけがかさみ、効果の実感が得られないまま現場の負担感だけが残るリスクがあります。
在庫が合わない夜を繰り返すのか、それとも一つの画面で全店舗・全チャネルの在庫状況を確認できる朝を迎えるのか。その違いを生むのは、大規模な投資ではなく、まず自社の情報がどこに散らばっているかを棚卸しすることから始まるのではないでしょうか。
参考・出典
(1)経済産業省・農林水産省「省力化投資促進プラン ー 小売業 ー(案)」(令和7年5月14日) https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/kaigi/dai34/shiryou16-3.pdf
(2)中小企業庁「2025年版 中小企業白書」第1部第1章第5節 デジタル化・DX https://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/2025/chusho/b1_1_5.html