その賞味期限、紙の台帳で本当に追えていますか?

作成者: Clover Plus編集部|May 29, 2026 8:06:10 AM

朝一番、倉庫に入って棚を見渡す。段ボールに手書きされた日付を一つひとつ確認しながら、今日出荷すべきロットを探す ー 食品製造の現場では、こうした光景がいまも珍しくありません。「うちは長年これでやってきたから」と言いながら、ふと不安がよぎることはないでしょうか。あの台帳の数字、本当に合っていますか。

紙の記録が抱える「見えない綻び」

食品業界でトレーサビリティという言葉が広がって久しいですが、実態はどうでしょうか。農林水産省の調査によれば、流通加工業者が入荷ロットと出荷ロットを対応付けて記録・保存する「内部トレーサビリティ」の取組率は5割弱にとどまっています(1)。つまり、半数近くの事業者が、万が一の事故発生時に「どの原料がどの製品に使われたか」を即座にたどれない状態にあるということです。

紙やExcelでの記録が悪いわけではありません。ただ、手書きには転記ミスがつきまといますし、Excelは更新した人しか最新版を知らないという属人化が起きやすい仕組みです。ある工場では、賞味期限の近い原料が奥に押し込まれたまま、新しいロットから先に使われていた ー そんな話は珍しくありません。紙の台帳は「記録した瞬間」の正しさは保証しても、「今この瞬間」の正しさは教えてくれないのです。

食品ロスが原価を静かに削っている

記録の不備がもたらす影響は、トレーサビリティの問題だけにとどまりません。原価管理にも直結します。

環境省の公表によれば、令和5年度の国内食品ロス量は約464万トンと推計されています(2)。このうち事業系は約231万トンで、業種別に見ると食品製造業が約126万トンと最も大きな割合を占めています(2)。廃棄される食品は、すでに原材料費・加工費・保管費が投入された「コストの塊」です。それが売上に変わることなく処分されるわけですから、ロスの一つひとつが利益を静かに削り取っていることになります。

問題は、このロスの全体像を把握できていない企業が少なくないことです。紙の台帳やバラバラのExcelファイルでは、どのラインで、どの時期に、どれだけの廃棄が出ているかを横断的に見ることが難しいのです。「なんとなく多い気がする」という感覚はあっても、数字で裏付けられなければ改善の手は打てません。原価管理と在庫管理が分断されている状態では、ロスの原因がどこにあるのかを特定すること自体が困難です。

法規制の流れが「いつか」を「今」に変える

もう一つ、目を向けておきたい動きがあります。農林水産省は2030年度までに事業系食品ロスを2000年度比で6割削減する目標を掲げており(3)、これは従来の半減目標からさらに引き上げられたものです。加えて、一定規模以上の食品関連企業に対する年次削減実績の報告義務化も検討が進んでいます(4)。

こうした法規制の強化は、大企業だけの話ではありません。取引先である大手企業がサプライチェーン全体のトレーサビリティを求めるようになれば、中小の製造業者や卸売業者にも同じ水準の記録・管理が求められるようになります。「うちはまだ小さいから」という猶予は、気づかないうちに縮まっているのかもしれません。

農林水産省もまた、食品事業者が紙帳票や目視によるアナログな記録からデジタルへ移行することで、ヒューマンエラーの防止と安全・安心な食品製造を実現する方向性を示しています(5)。デジタル化は、もはや効率化のための選択肢ではなく、取引を続けるための基盤になりつつあるのです。

「記録を残す」から「記録が動く」へ

では、具体的に何が変わるのでしょうか。たとえば、入荷時にロット情報をシステムに取り込み、製造工程と紐づけて管理する仕組みがあれば、出荷後に問題が発覚しても該当ロットを即座に特定できます。賞味期限の近い原料から自動的に使用順を提示する機能があれば、倉庫の奥に眠る在庫を見逃すこともなくなります。

ある食品製造現場では、トレーサビリティシステムの導入によって紙の使用量を最大75%削減し、棚卸時間を25%短縮した事例も報告されています(6)。数字の改善そのものも重要ですが、それ以上に大きいのは「今、何がどこにあるか」を現場の誰もがリアルタイムで確認できる状態になることです。情報が一人の頭の中や一枚の紙の上にだけ存在する状態から解放されることで、判断のスピードと精度が変わります。

記録は「残すもの」から「動くもの」へ。その転換が、食品業界の現場で少しずつ、しかし確実に始まっています。自社の台帳を開いたとき、「この数字は今も正しいか」と問える状態をつくること ー それが、最初の一歩になるのではないでしょうか。

参考・出典
(1)農林水産省「食品トレーサビリティ普及のための要因分析」 https://www.maff.go.jp/j/tokei/bunseki/report/shokuhin_trace.html
(2)環境省「我が国の食品ロスの発生量の推計値(令和5年度)の公表について」 https://www.env.go.jp/press/press_00002.html
(3)農林水産省「食品ロス削減の現状」 https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/2510/spe1_01.html
(4)日本経済新聞「事業者の食品ロス、30年度までに6割減目標 農水省など」 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA163U80W4A211C2000000/
(5)農林水産省「食品表示ミス防止・食品トレーサビリティに関するセミナー」 https://www.maff.go.jp/j/syouan/hyoji/kansa/attach/pdf/kansa_kenshu_old-3.pdf
(6)内田洋行「トレーサビリティシステムを活用した、食品製造現場におけるDX化の改善事例」 https://www.uchida.co.jp/system/report/20240044.html