ある月末の昼過ぎ、営業チームから「今月のキャンペーン商品、反響がいいので追加したい」という連絡が入ってきました。倉庫に確認すると、その商品はあと2日分しか残っておらず、しかも購買チームはその前日に全く別の製品の追加発注を済ませていた、ということがありました。
現場では「なぜ事前に連絡がなかったのか」というやりとりが起きましたが、本当の問題は誰かの連絡ミスではありませんでした。営業が何をいつ売ろうとしているか、倉庫に何がどれだけ残っているか、調達がいつ何を発注しようとしているか、それぞれの情報が別々の場所にあったことが根本にありました。
中小企業のDXに取り組む企業はここ数年で増えており、取り組み実施中または検討中の企業は全体の約4割に達しています(1)。ところが効果を実感できているのはそのうちの2割程度にとどまるという調査結果もあります。「ツールは入れたが、情報が一元化できていない」というケースが多いのが実態です。
過剰在庫と欠品は、対になった問題です。過剰在庫はキャッシュを寝かせ、倉庫スペースを占有し、やがて廃棄ロスに至ります。欠品は受注できたはずの売上を失う機会損失です(2)。どちらも「予測が外れた」というより、「予測するための情報が手元になかった」という状況から生まれていることがほとんどです。損が二重に出ているのに、見えにくい。そこが厄介な点です。
営業担当者は売ることに集中しています。今月何をどこへ提案するか、受注確度はどのくらいか、いつ納品できるかが関心の中心です。調達担当者は仕入れることに集中しています。どこからいつ何を買うか、リードタイムはどれほどか、価格交渉の余地はあるかが判断軸になります。
この二つの視点はそれぞれに正しいのですが、多くの中小企業では情報として共有されていません。営業の見込み情報はExcelで管理され、調達の発注履歴は別システムに残り、在庫の現在数は倉庫担当者に電話しないとわからない、という状況は珍しくないものです。
結果として、営業は在庫状況を知らずに受注し、倉庫は欠品を起こします。調達は直近の販売動向を知らずに発注し、過剰在庫を積み上げます。それぞれが誠実に仕事をしていても、情報の壁がダブルの損失を生み出してしまいます。「売る側と買う側の温度差」というより、「互いの状況が見えていない」という構造の問題です。
2026年1月、下請法は「取適法」(中小受託取引適正化法)として施行されました(3)。手形払いの禁止、適用対象の拡大、価格協議への応答義務の新設など、発注する側への規制が一段と強化されています。
この変化は、調達業務の管理精度を問い直す機会でもあります。支払い条件の変更や取引記録の整備が必要になるため、「なんとなく慣習で回っていた」発注・支払いフローを見直さなければならない場面が増えます。制度対応を理由に調達業務のデジタル化を進めるのはむしろ合理的な判断で、そのタイミングで在庫・営業情報との連携を設計に組み込めると、後からつなぎ直す手間が省けます。
営業・調達・在庫の情報がひとつの流れになると、見え方が変わります。どの商品が、いつ、どの顧客に売れる見込みがあるか。それをもとに在庫をいつまでにいくつ確保すべきか。そのために調達はいつ発注すればよいか。この一連の流れが可視化されると、欠品や過剰在庫への対応は「起きてから動く」から「起きる前に動く」に変わります。
クラウド型のERPや在庫管理ツールを活用することで、こうした情報の一元化は中小企業でも実現できるようになっています。重要なのは、すべてを管理できる万能の仕組みを求めることではなく、今バラバラになっている情報がどこに存在するかを把握し、その橋渡しから手をつけることです。
売れているのに在庫が足りない状況は、誰かの怠慢が生み出しているわけではありません。情報が届かない構造の問題です。その構造に手を入れることで、現場で繰り返されてきたすれ違いは、ずいぶん少なくなっていきます。
参考・出典
(1)中小企業基盤整備機構「中小企業のDX推進に関する調査(2025年)」https://www.smrj.go.jp/research_case/questionnaire/fbrion0000002pjw-att/202602_DX_point.pdf
(2)NetSuite「2025年以降に在庫管理が直面する20の課題とその解決策」https://www.netsuite.co.jp/resource/articles/inventory-management/inventory-management-challenges.shtml
(3)公正取引委員会「中小受託取引適正化法(取適法)関係」https://www.jftc.go.jp/partnership_package/toritekihou.html